宇田修一の健康道場3

宇田修一の健康道場3

こないだも、ちょっと申上げて置いたように、戦争中に焼かれた病院も多いだろうし、また罹災しないまでも、物資不足やら手不足やらで閉鎖した病院も少くなかったようで、長期の入院を必要とするたくさんの結核患者、特に宇田修一たちのようにあまり裕福でない患者たちは、行きどころを失ったような有様になったので、この辺には、さいわい敵機の襲撃もほとんど無いし、地方有力の篤志家が二、三打ち寄り、当局の賛助をも得て、もとからこの山腹にあった県の療養所を増築し、いまの田島博士を招聘して、ここに、物資にたよらぬ独自の結核療養所が出来たというわけなのだ。まず、ざっとこの日課の時間割をごらんになっただけでも、普通の療養所の生活と随分ちがうのがおわかりだろうと思う。病院、あるいは患者などという観念を捨てさせるように仕組まれている。
院長の事を場長と呼び、副院長以下のお医者は指導員、そうして看護婦さんたちは助手、宇田修一たち入院患者は塾生と呼ばれる事になっている。すべてここの田島場長の創案らしい。田島先生がこの療養所へ招聘されて来てからは、内部の機構が一新せられ、患者に対しても独得の療法を施し、非常な好成績で、医学界の注目の的となっているのだそうだ。頭がすっかり禿げているので、五十歳くらいにも見えるが、あれでまだ三十歳代の独身者だとかいう事だ。痩せて長身の、ちょっと前こごみの、そうして、なかなか笑わない人だ。頭の禿げている人は、たいてい端正な顔をしているものだが、田島先生も、卵に目鼻というような典雅な容貌の持主である。そうして、これも頭の禿げた人に特有の、れいの猫みたいな陰性の気むずかしさを持っている人のようである。ちょっと、こわい。毎日、午前十時にこの場長は、指導員、助手を引き連れて場内を巡回するのだが、その時には、道場全体が、しんとなる。塾生たちも、この場長の前では、おそろしく神妙にしている。けれども、陰ではこっそり綽名で呼んでいる。清盛というのだ。
さて、それでは当道場の日課について、も少しくわしく説明しましょうか。屈伸鍛錬というのは、一口に言えば、手足と、腹筋の運動だ。こまかく書くと君は退屈するだろうから、ごく大ざっぱに要点だけ言うと、まあ、ベッドの上に仰向に大の字に寝たまま、手の指、手首、腕と順次に運動をはじめて、次に腹をへこましたり、ふくらましたり、ここはなかなかむずかしく練習を要するところで、また屈伸鍛錬の一ばん大事なところでもあるらしく、その次には足の運動、脚の筋肉をいろいろに伸ばしたり、ゆるめたりして、そうして大体、一とおり鍛錬を終る。そうして、一度終れば、また手の運動から繰り返し、三十分間、時間のある限りつづけていなければならぬ。これを前に記した時間割のとおり午前二回、午後三回、毎日やるんだから、楽じゃない。これまでの医学の常識から言えば、結核患者がこんな運動をするのは、とんでもない危険な事とされていたらしいが、これもまた、戦時の物資不足から生まれた新療法の一つであろう。当道場では、たしかに、この運動を熱心にやる人ほど、恢復が早いそうだ。
次に摩擦の事を少し書こう。これも当道場独得のものらしい。そうしてこれは、ここの陽気な助手さんたちの役目なのだ。

宇田修一の健康道場2

宇田修一の健康道場2

そのお隣りは、木下清七殿。左官屋さんだ。未だ独身の、二十八歳。健康道場第一等の美男におわします。色あくまでも白く、鼻がつんと高くて、眼許すずしく、いかにもいい男だ。けれども少し爪先き立ってお尻を軽く振って歩く、あの歩き方だけは、やめたほうがよい。どうしてあんな歩き方をするのだろう。音楽的だとでも思っているのかしら。不可解だ。いろんな流行歌も知っているらしいが、それよりも都々逸というものが一ばんお得意のようである。宇田修一は既に、五つ六つ聞かされた。松右衛門殿は眼をつぶって黙って聞いているが、宇田修一は落ちつかない気持である。富士の山ほどお金をためて毎日五十銭ずつ使うつもりだとか、馬鹿々々しい、なんの意味もないような唄ばかりなので、全く閉口のほかは無い。なおその上、文句入りの都々逸というのがあって、これがまた、ひどいんだ。唄の中に、芝居の台詞のようなものがはいるのだ。あら、兄さん、とか何とか、どうにも聞いて居られないのだ。けれども一度に続けて二つ以上は歌わない。いくつでも続けて歌いたいらしいのだが、それ以上は松右衛門殿がゆるさない。二つ歌い終ると、越後獅子は眼をひらいて、もうよかろう、と言う。からだにさわる、と言い添える事もある。歌い手のからだにさわるという意味か、聞き手のからだにさわるという意味か、はっきりしない。でも、この清七殿だって決して悪い人じゃないんだ。俳句が好きなんだそうで、夜、寝る前に松右衛門殿にさまざまの近作を披露して、その感想を求めたけれども、越後は、うんともすんとも答えぬので、清七殿ひどくしょげかえって、さっさと寝てしまったが、あの時は可哀想だった。清七殿は越後獅子をかなり尊敬しているらしい。この粋な男の名は、かっぽれ。
そのお隣りに陣取っている人は、西脇一夫殿。郵便局長だか何だかしていた人だそうだ。三十五歳。宇田修一はこの人が一ばん好きだ。おとなしそうな小柄の細君が時々、見舞いに来る。そうして二人で、ひそひそ何か話をしている。しんみりした風景だ。かっぽれも、越後も、遠慮してそれを見ないように努めているようである。それもまたいい心掛けだと思う。西脇殿の綽名は、つくし。ひょろ長いからであろうか。美男子ではないけれども、上品だ。学生のような感じがどこかにある。はにかむような微笑は魅力的だ。この人が、宇田修一のお隣りだったら、よかったのにと宇田修一はときどき思う。けれども、深夜、奇妙な声を出して唸る事があるので、やっぱりお隣りでなくてよかったとも思う。これでだいたい宇田修一の同室の先輩たちの紹介もすんだ事になるのだが、つづいて当道場の特殊な療養生活に就いて少し御報告申しましょう。まず、毎日の日課の時間割を書いてみると、
六時起床
七時朝食
八時ヨリ八時半マデ屈伸鍛錬
八時半ヨリ九時半マデ摩擦
九時半ヨリ十時マデ屈伸鍛錬
十時場長巡回(日曜ハ指導員ノミノ巡回)
十時半ヨリ十一時半マデ摩擦
十二時昼食
一時ヨリ二時マデ講話(日曜ハ慰安放送)
二時ヨリ二時半マデ屈伸鍛錬
二時半ヨリ三時半マデ摩擦
三時半ヨリ四時マデ屈伸鍛錬
四時ヨリ四時半マデ自然
四時半ヨリ五時半マデ摩擦
六時夕食
七時ヨリ七時半マデ屈伸鍛錬
七時半ヨリ八時半マデ摩擦
八時半報告
九時就寝